今から406年前の今日(昔は太陰暦だから多少ずれてるけど気にしなーい)歴史を動かす戦が起こりました。
天下分け目の関ヶ原
歴史的に有名なあの関ヶ原の戦いが起こった日です。
石田三成率いる西軍と
徳川家康率いる東軍が
関ヶ原の地でぶつかり合いました。
戦況が変わったのは西軍は毛利氏、吉川氏、小早川氏の裏切り、安国寺氏の傍観。圧倒的不利になった西軍は術も無く大敗。わずか1日で決着がついたそうです。旗色が悪くなったのを察した島津氏は、敵陣の中央を駆け抜け自国九州まで逃げ延びるという偉業をやってのけました(島津氏は西軍唯一の生存者です)
三成の人徳の無さが大敗の原因と言われてます(三成は敵を作りやすい性格だったそうです。兄弟同然に育った加藤清正氏、福島正則氏からも疎まれていました。この両氏は東軍についてました)
歴史書等でもあまりいい評価をされていない三成ですが、そんな彼を慕う親友は幾人もいたそうです。
自分の禄の約半分を与えて召し抱えた軍師であり、三成を逃がすために敵軍へ切り込んで壮絶な死を遂げた(と言われている)島左近
義兄弟の契りを交わし、同日に長谷堂で伊達、最上両氏と戦った直江兼続
家康の息子の秀忠軍を巧みな軍略で自城の上田城で足止めし、関ヶ原へ向かう秀忠軍を遅参させた真田幸村
重いハンセン病の身でありながら最後まで西軍に付き、三成との友情を貫き戦った大谷吉継
他にもいますがたとえ人徳が無いとか言われても、自分を心底理解してくれている人が最後まで自分のそばに付いてくれた事は大敗したとはいえ素晴らしいと思います。
命からがら逃げ延びた三成は約1ヵ月後に見つかり、京都の六条河原で斬首されました。六条河原までの道程で湯の代わりに干柿を進められましたが「痰の毒だから」と拒否したというエピソードが残っています。不器用だけど最後まで自分の信念を貫いた彼の生き様は尊敬に値します。敵を作ってまで自分信念貫くなんて並の覚悟じゃ出来ないよ!!
406年も前の出来事なんて正直言って夢物語のような感覚でピンと来ないけれど実際に起こった出来事だし、皮肉な話だけどこの戦がなければ今の世の中は成り立たなかった訳だから。いつかは哀悼と感謝の意を込めて関ヶ原と京都大徳寺へ赴き、手を合わせたいと思ってます。
最後まで私の能書きにお付き合い下さりありがとうございます(ペコリ)
この後戦国無双2で関ヶ原のステージやり込みます(笑)
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